海外で生きるということ

私はすこしの間、一人、海外ですごしたことがある。

言語ができず、心の中ではめっちゃしゃべってるのに、ぜんぜん言葉がでない。でたとしてもたどたどしいので、まるで幼稚園生に接するように相手に話されるのが毎回いらっとしていた。(うまく話せないから相手がそうなるのはいたしかなたない)

日本にかえったらそういう厚い雲に覆われた状況はなくなるので(言葉の意味が理解できる)きっといいたいこともいえて、やりたいこともできるのだろうと思って帰国した。

 

しかし、帰国しても、何もできない自分がいた。

たいそうがっかりした。あれもやりたいこれもやりたい自分はどこいっちゃった? むしろ、混沌とした世界にすんでいたときのほうが自己主張してなかった??

 

本当に不思議。エスカレーターにのるときは黄色いラインの内側にのりましょう、電車は線の内側でお待ちください、あれこれあれこれ、メッセージがやたら多い東京で、言葉を拾っては、うるさすぎるなと感じる。

 

何がいいたいかというと、うまく自分が思うように物事がうごかない環境にいると、すべてを人のせい、環境のせいにしているけど、そのいいわけがとっぱらわれても何もできないということはかわらないということ。残念だけど。できるときは無条件にできちゃうわけで。

 

 

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