昨日から引き続き。信じることの難しさ

今日は子供食堂のボランティアチームの食事会でした。

私より先輩もいらっしゃるので昨日と同じ質問をしたところ、やはり「信じることが大事」と同じ回答。

私は子供を信じているだろうか。(私はこの子は人を傷つけたりいじわるしたりする子ではないことはわかっている。)それは信じるけど、やはり、提出物期限が守れないというのは自分に跳ね返り、不利にしかはたらかないのになぜそういう選択をするのかはわからない。理解できない。

断固やるものかという意気込みすら感じるといったら、「それは立派だ」と言われて、これが立派なのかわからなくて(ってか、だめっしょ!?)私はまた混乱する。

自分の子供だからこそ、この部分は信用できません、というところもあって、やはり、自分が大丈夫なんだから子供も大丈夫にならないと前にすすめない。自分が信じられて、もう安心しきって子供を信じることができると変わるのよ、といわれて、本当にそんな日がくるのか、きたらいなと思って(今はきてない)から憧れのようなものを感じた。

 

こどもが小さい時に、子供は親を信じ切っていれば、階段の上から飛び降りてくることだってある。

しっかり親がしたで受け止めてくれるということが当たり前に信じられていれば、そういう無茶もできるのだと。(私を昔よく飲みにつれて行ってくれた先生がいってた)

そのときは子供がいなくて、そんなもんかな? と思っていたけど今はよくわかる。

ちょっとでも疑ったら怖くて到底できないけど、親を信じ切った子供ならやる。

私は、子供にそこまでの信頼があるのかな? と思う。(あるところでは、信頼を得ているとは思うけど100%かといわれるとそれはちょっとわからない)

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