揺れ動いた一日

今日は朝からもめた。

学校の提出物が終わってない(分量きいても終わる気がしない)というのに、

友だちとカラオケにいくという娘。フザケンナ。

終わってから行きなさいといいましたよ?

なのに、もう予約したからだの、大騒ぎしてでていった。

それで、好き勝手放題の娘を相手に腹立たしいやらあきらめの境地やら私は私でストレス抱えてエネルギー吸い取られて、二度寝。起きたら昼にかぎりなく近い。

 

心配した友人が電話をしてくれて(塾の先生なのでこういう案件をたくさん知ってる)

話をしていくうちに

これは心理カウンセリングだぞ? と思い始めた。私は、子供がオール5だったらうれしいのか?子供にオール5になってほしくて、がみがみいってるのか?

 

そうじゃない。オール5はすごいけど、そこは目指すところではない。(でも日本の義務教育で5をめざさないなら何をめざすのだろう?)正直、私は子供が何に躓いているのかがわからないし、わかっても教えられるところにいない。(昭和のやりかたをおしえちゃいけないときいたことがある)

自分が中学のときは、そこそこできちゃって、親にも先生にもたよらないで一人でやっていたと思う。中3で塾にいったけど、そのときも先生にすごくコミットしてた感じではなく、ただタンタンと授業きいて宿題やって。。。という感じだった。

 

今うちのこはまったくそのステージにはいない。本当に問題を読めてるのかね? というレベルで、わかってるんだかわかってないんだか私にもわからない。

 

文字がよめない障害があるらしいので、教科書を音読させてみたら、いちをよめたので(よめない漢字はとばしてたけど)それはまあ、ないのかなと思うけど、本当に、勉強をやらない。サボる。地道な努力をばかにしているように見える。(これは、実際に娘がばかにしているわけではなく、私がそうみえてるという投影をおこしているだけ)

 

私は親や先生にそんなにかまってもらった? 勉強みてもらった? ってきかれて、みてもらってないや、ということを思い出す。部屋で深夜ラジオを聴きながらもくもくと勉強をやっていた。(もちろん苦手なのもあったけど、とりあえず、何もしない状態で試験をうけることはなかった)

 

何でできない?やらない? きいても「わからない」。何がわからない? きいてもさっぱり要領を得ない。困った。塾の先生も困ってる。

 

手紙も出さない。

 

私はイラつく。

 

だけど、それは過干渉なんじゃないかと友人はいう。たしかにそうなんだけど、過干渉やーめた! といって一切関与しないのはネグレクトなんじゃないかと不安になる。(でもたとえそうだとしても、いったい誰向けに私はネグレクトではありませんとアピールする必要があるのか?)

 

子供は私に何かを教えるために生まれてきたということをよくきくけど、本当にその通りだと思う。

 

そして、今日電話のあと仕事関係で別の場所にいって話をすることがあったので

こういうことで困っていてこうでこうで。。。と話したら、子育てが終わっている人だったので(もう巣立った)中学のときは私も大変だったなーということで、どうやって乗り越えたのかという話をきいた。もう全部手放しで子供を信じることにしたと。(これは難易度が結構たかくて、まずは自分を信じないと心から自分以外を信じることはできない)

 

いま深夜2時半なのだけど、あいかわらず明日の提出物はやる気配がない。これをもう、子供を信じて「何もいわない」というのは、親の義務の放棄にも感じていて、だからついいっちゃうんだけど、今日相談した二人は、二人とも「いわない」ようにするっていってた。もうそう子供がやらないときめたのだったら、それを「信じる」といいのだとか。

え~それって調子にのせるだけじゃない? (自分を信じてないから子供を信じられない、いい例)

もうほんと、葛藤の日々。正直ものすごくつらいです。

 

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