スライムの逆襲

私は小学生のとき、好きで好きで、触りたくて触りたくてたまらなかったスライムを、おなか一杯味わうことができなかった。

(一回くらいは買ってもらったかもしれないけど、作るというところにまで親が達成していなかったのと、作れると思っていなかったのと、当時まだそんなにすごく安くはなかった)」

だから憧れのまま終わってしまったスライムさん。

令和の現代。娘はもう本当にスライム三昧、毎日スライムをやって、スライムパレットなるものを作り、本当に楽しんだ。たぶんおなか一杯になって満たされたのだろう。

ある日突然興味を失い、それからスライムのことをまったく言わなくなった。私は、スライムに未練があるので大人になってもまだ好きだし、なんなら子供とせっせと作りまくって自分の不足していたものを満たそうとしていた。

これ。

愛情と同じじゃない?

幼少時代、そのときに欲しかった愛情をしっかりもらえたら、そこですっかり満足してみたされたら、次の段階にいったとき、未練がない。だけどその時に必要だった愛情をおなか一杯になるまで受け取れなかったら、愛情が欠乏してそれが満たされるまで欲しいほしいってなる。(だけど体は大人いなっちゃうから、あからさまに、ほしいほしいというのは変だとわかっていて取り繕うからおかしなことになる)

 

昨日、食事会のとき「あなた、考えすぎよ。もう、なにも悩んだり考えたりする必要はないんだって!」ってある人にいわれて、それもそうだって本当に思った。私があれこれ考えてもどうにもならないこと。(子供のこと)この何も考えないが、信じるにつながるんだろうなって思った。

 

さて今日は自分をみたすために大好きなイベントに参加して、ドーナツをたべて、カレーをたべた。

(食べることで満たそうとする私)

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